有縁さんと無縁さん

生きている人間には必ず「ご先祖様」がいらっしゃいます。父母がいて子供がいて、これは切れることのないつながりです。
子供がよりよい人生を歩むことを望んでやまないのが親であるように、ご先祖様も子孫繁栄、家の格の下がらないことを願って色々と人間のためにお動きになります。しかし、人間は生きている間にまったく罪を犯さない、人を傷つけないという人は皆無です。 何らかの形で人に大なり小なり迷惑をかけることもあるでしょう。例えば戦争に参加して人を殺めてしまった、身体を直接傷つけずともその人の心を深く傷つけるようなことをしてしまった、された方は人間の体がなくなっても、無念や怨念は残ります。
してしまった本人が死んでしまったならその子孫に恨みを果たすようになります。妬みや嫉みはなかなか消えにくい感情です。
慈しみや感謝の気持ちと比べると、嫉妬、憎悪の感情は生々しくて強いものです。冷たい空気や重苦しい空気、例えるならそんな感じでしょうか。
有縁さんのご説明を私がしますときは「子孫繁栄の邪魔をする力、家や自分に縁のある亡くなった方」という意味合いを持たせることが多々ございます。
もちろん、その家のご先祖様に助けてもらったから少しでもお役に立ちましょう、という有縁さんもいらっしゃいますがほとんどの場合、有縁さんは「重い思念」です。ご先祖様の力が弱ければ、有縁さんの思う壺。ですね。「無縁」さんはよんで字の如し「縁のない方」です。
たまたま通りかかったその場所で過去に亡くなった方がいてその方と波長が合って、もしくは「供養してくれるかも」と期待されてしまった、「この人にくっつけば供養できる人のところに連れて行ってもらえる」等の理由で乗りかかられることは多いですね。
他にも、道端のお地蔵様に手を合わせてしまったがばっかりについてこられるという事も多々あります。要はどんなに気をつけていても波長が合ってしまえばやってくるのが無縁さんです。どちらにしても冷たく重い思念であることは間違いありません。