( 神様仏様に関する茶羅尼の思いをあげてみました)
▽ 神社仏閣って・・ ▽
羅尼は神社仏閣が好きでよく行きます。しかし、場所によっては神仏の雰囲気がまったく感じられない神社仏閣もあります。
神仏とてお仕事をいくつも抱えていらっしゃるのですから、一つところにずっとおいでになることが百歩譲って難しいとしましょう。しかし、その場合でも眷属さんであるとか、
脇持さんであるとか、御自分の意識であるとか、なにか「ご自分」に変わるものをその場所においていかれます。さて、それすらないとなるとそれはどういうことでしょうか。
もっと悲しいことにご本尊様はいらっしゃるのにそこの方(人間ですね)がちゃんとおまつりしないだとか、拝まないだとかで身動きが
とれず「私は何の仕事もしないよ」と断言される神仏。楽になると思っていったのに、有象無象がついてきてしまったということもありがちな話です。そんな場合、
どうすればいいのでしょうか。いちばん簡単な方法は「自分の相性のいい神社仏閣をキープする」ことです。お参りして重くなった肩を軽くするために自分が知っている相性の
いい神社仏閣に行くというのがベストでしょう。これをみつけるのは、色んなところをお参りすることしかありませんけれど。
▽ 両部曼荼羅 ▽
物事には陰陽、明暗、静と動‥と必ず二つの面があります。仏様の世界も「金剛界」と「胎蔵界」の二つの世界が
あります。さてこの二つの世界の違いとはどのようなところでしょうか。教義、教学的なことではなくあくまでも私の見解ですが金剛界は「攻撃は最大の防御なり」
という言葉が非常にぴったりときます。
トラブルが起こりそうになるとそのトラブルを根絶する‥という感覚です。自分を害するものはどのようなものでも叩き切る、そんなイメージです。胎蔵界は「防御は
最大の攻撃なり」というまるで逆のスタンスをとっています。どのようなトラブルも叩き壊す前にその原因と過程を見定めましょう、そして自分がどのような行動を
とるのかは、臨機応変です。しかし、自分のみに火の粉が降りかかるのならばそんなものは不必要なので消滅させましょう。このようなイメージです。激しい気性のよう
で暖かみのある金剛界、優しそうな雰囲気とはまったく違うクールな胎蔵界、そんな感じです。仏様は金剛界の面、胎蔵界の面とその両方のお顔をおもちですが、
性質的にどちらかに必ず寄っていらっしゃいます。明王部の方々は金剛の、観音部の方は胎蔵にウェイトをおかれていらっしゃるように感じられます。仏様にもそのような
「自身の得意な性質」があるのですから、人間界の私達がいろんな悩みを持っていたって「仏様だって得手不得手があるんだし・・」と思えば、少し肩の力も抜けて
「じゃ、がんばろ」っという気力が生まれると私は思います。
▽ 眷属さん ▽
どの神様にも眷属さんがいらっしゃいます。神様もお暇ではないのでお仕事によってはご自身よりももっとフットワークの
軽い部下の御方をお使いになられます。その神様の配下にいらっしゃる御方、それが眷属(けんぞく)さんです。さて、神様の配下にいらっしゃる方といってもちょっと悲しい
こともあります。例えば、土地の守りを仰せつかった眷属さんがいたのに人間が勝手にその土地に手を加えてしまい眷属さんの居場所を無くしてしまったのです。祠を壊したり、
御神木を切ってしまったり。親神様にはとどまる様に言われているのにご自身がおはす場所がない。そして長い時間が過ぎていき、眷属さんは異形のものとなり「神様の配下」
におはす眷属さんだったのが魑魅魍魎となることもあります。親神様が呼び戻さないからそうなった、というのではなく人間が土地の守りをしていただくためにお呼びしたのに、
土地に手を加えるときになんの断りも入れなかった、というのが理由です。呼びつけたのが人間なら親神様の元にお帰りいただくことをするのも人間です。